自由
縛られていた気持ちに気づいた私
想う気持ちは自由だったはずなのに
いつしか
ツインレイ理論や現実の難しさに
がんじがらめに
自分自身を縛り続けていた
我慢の自覚はあまりなかったけど
忍耐?みたいな
未来の光に向けて
堪え忍ぶような気持ちに
ずっと押さえつけられていた
まるでマラソンのように
苦しさを感じながら
ひたすら見えないゴールを目指して
走り続けていたのかもしれない
別に道をそれて遠回りしたって
リタイアしたっていい
ゴールにたどり着けなかった
としても
私が私らしく
毎日を穏やかに
小さな幸せを感じて
生きていけるなら
そこが目指していたゴールでなかったとしても
いいんじゃないか?
そんな気がしてきたのは
どうしてかな…
本当の幸せを探しているうちに
当たり前の幸せを見失っていた