maicoco*片割れ日記

40代シングルマザーの毎日 ツインレイのこと 子育てのこと ライフワークのこと  

私は母が大切です

 

今までたくさん世話になってきたし

支えられてきたし

愛が溢れた人です

 

でも

ときおり母の自己犠牲感を見ると

嫌悪感みたいなものを感じます

 

母は田舎から東京に嫁いできて

農家を営んでいた舅姑と同居をしました

なので結婚当初からたくさんの我慢や

苦労があったようです

それから30年あまり

介護して義父母を看とるまで

我慢を強いられてきたのだと思います

 

経済的には結婚して数年以降は

普通の家庭以上に裕福でしたので

欲しいものを買ったり

食事にいくような贅沢はありましたが

義父母をおいてに友達と旅行にいくような

自由はなく(というか諦めていた)

義父母がいるから何かができない

という思いは

母の中にずっと居座る感情なのだと思います

 

実際には介護中には

お手伝いさんみたいな方もいて

父なりに母を自由にという優しさが

あったのだと思います

 

でも母には自己犠牲感からくる意地があった

のだとおもいます。

その気持ちは当時子どもを出産した私や

子どもたちに向けられ

愛情をたくさんもらいました

 

介護も終わり

孫たちもだんだんと成長した頃

私が離婚したので

母の気持ちはそのまま

私や孫たちに向けられました

 

私は母に足を向けて寝られません

 

でも罰当たりですが

それが息苦しいときもあるのです

 

だから頼らず生きようとしていても

差しのべられる手や気持ちが

ときに重く

人前で語られる

自己犠牲的な発言に

強い嫌悪感を抱くのです

 

我慢してきたことが

義父母や子ども、孫

それは妻、母親としてとても

切ない感情です

 

母にはいつか

私や孫、父からも解放されて

母らしさを取り戻して

母らしく生涯を全うしてほしい

 

今は心からそう思うのと

同時に母は立派ですが

 

私はこうは生きたくない

 

私にできなかったことを

元夫、子ども、

そして父や母のせいにする

人生は歩みたくない

 

そう強く思います