母
私は母が大切です
今までたくさん世話になってきたし
支えられてきたし
愛が溢れた人です
でも
ときおり母の自己犠牲感を見ると
嫌悪感みたいなものを感じます
母は田舎から東京に嫁いできて
農家を営んでいた舅姑と同居をしました
なので結婚当初からたくさんの我慢や
苦労があったようです
それから30年あまり
介護して義父母を看とるまで
我慢を強いられてきたのだと思います
経済的には結婚して数年以降は
普通の家庭以上に裕福でしたので
欲しいものを買ったり
食事にいくような贅沢はありましたが
義父母をおいてに友達と旅行にいくような
自由はなく(というか諦めていた)
義父母がいるから何かができない
という思いは
母の中にずっと居座る感情なのだと思います
実際には介護中には
お手伝いさんみたいな方もいて
父なりに母を自由にという優しさが
あったのだと思います
でも母には自己犠牲感からくる意地があった
のだとおもいます。
その気持ちは当時子どもを出産した私や
子どもたちに向けられ
愛情をたくさんもらいました
介護も終わり
孫たちもだんだんと成長した頃
私が離婚したので
母の気持ちはそのまま
私や孫たちに向けられました
私は母に足を向けて寝られません
でも罰当たりですが
それが息苦しいときもあるのです
だから頼らず生きようとしていても
差しのべられる手や気持ちが
ときに重く
人前で語られる
自己犠牲的な発言に
強い嫌悪感を抱くのです
我慢してきたことが
義父母や子ども、孫
それは妻、母親としてとても
切ない感情です
母にはいつか
私や孫、父からも解放されて
母らしさを取り戻して
母らしく生涯を全うしてほしい
今は心からそう思うのと
同時に母は立派ですが
私はこうは生きたくない
私にできなかったことを
元夫、子ども、
そして父や母のせいにする
人生は歩みたくない
そう強く思います